昭和42年08月02日 夜の御理解
今朝の御理解に、世の中がこのように騒がしい、それはどう言うようなことが原因になっておるのかと、言う様なことを、神様に私は言うなら正夢を受けました。私それで、そのことを本当に世の中が騒がしい。それはまあ言うならば、自分の家の中が騒がしいと言うてもよか。騒がしいということは、波風が立つということなんだ。信心は家庭に不和のなきが元とおっしゃる。
その不和の波が立つ。それは大きく言えば、国と国との争いでもそうである。そういう原因は、どう言うところから起こってくるのであろうかとこう私に神様が聞いて下さる。 まあ言うならば、試験を頂いたような感じがする。私そのことに対しましてから、人の悪いこと、人の悪口を言うときには、出来るだけその場に居ったら、その場を逃げようという意味の教えがある。人の悪い、悪口を言う人が居ったら、それを聞くなというのである。その場を逃げよと。
ですから勿論、悪口を言うことはいけない。そのことを私は思いましたから、これはお互いのこの足の取り合いというか、お互い悪口の言い合いから口論がケンカになる。そして血の雨を降らすといった様な結果になるんだなと思いましたから、そのことを私は神様に申し上げた途端にオイサミを頂きましたね。ですからいかに信心をさせて頂く者がです人の悪口を言うなと、教祖が仰るのでございますからもうこれやもう金輪際、今日じゃではなくても今日からはですもう悪口を言わん様にしょうじゃないか。
家庭の中で同じこと。同じお広前の中でも、信者同志でも、ハァあの人は、どうのこうのと言うて、この非難をしたり、悪口を言うたりする。言う人があってもええから、そういう場に居ったら、その場を出来るだけ逃げるというような気持ちにならしてもらうと。 これはどうでも一つ、お道の信心をさせて頂く者はとても、決してあの人ばかりは、人の悪口を言わっしゃらんと言うような、私になるためにです。
いよいよ私自身を究明し私自身を本当に、分からさせて貰うてとてもとてもとても人の悪口のどん言える私じゃないという、自分を見極めることだという様な御理解を頂いたんですね今朝。ところが私はそれを思うのに、その聞くのではなくてその場に居ったらその場をこう逃げよとこう仰るところを、私今晩また考えてみなければいけないとこう思うんです聞くなと仰る。人の悪口を言うなだけでなくてです、人の悪口を聞くなと仰るところをです、私はあの分からなければならんのだとこう思うんですね。
してみると人の悪口は言うな聞くなということになるのです。ところがなかなか人の悪口なんかは、聞きたいもの、聞き耳、聞き耳を立てて聞きたい。ハァそうですか、ハァちゅうてから、向こうがいよいよその言わんにゃならん、それこそシロゴテも言わんにゃならんごとある、その聞き方をする人がある。皆の心の中に、そういうようなものがある。アラそういうようなこと言うた。
ハァそういうような程度の、こちらがですね、それに調子を合わせるように言うもんだから、相手はそれこそうそ八百でも、その悪口を言う様なことになる、結果があるね。私は思わしてもらうのにですね、例えばその人の悪口を聞いてです、自分の心が乱れたり、聞いて腹が立ったり、悲しく思うたり、情けなかったりする時には、もうこれは先ず、悪魔の囁きだと思うていいと思う。
人の心を寂しがらせたり、人の心を悲しませたり、人に腹立ちのないメを食べさせたり、するような悪口をですね、これはもう絶対、私は悪魔の囁きとして、私は受け入れてはならない。聞いてはならない。ハァそげなこと私の悪口を誰、誰が言うたら、今度も私も言うちゃらんにゃならんと言うて、まるきりケンカをしたいような気持ちが起ってくる時には、いよいよそれは、私は悪魔の囁きとして、皆んながそれを極めなければいけない。 そして自分の心に聞いてはならない。受け付けてはならない。
ですからその悪魔の囁きをです、いかにもそれがあんたのことを思うてからと、言うて風にして言うてくれてもです、顔は言わば、仏の様な顔をしておっても、それは先ず、悪魔と思うて悪魔は決して、悪魔のような顔をして近づいてこない。口は耳まで裂けて角があるといった様なもんじゃない。それこそ菩薩か観音といった様な顔をして、近づいてくるから用心が必要である。
ですから最後は、そういう、そうですかと、けどもあの人は、ああいう良かとこもありますよ、と言うようにです、それをその悪鬼の囁きを、打ちくずくようなです、アラ、この人の悪口を言うちゃ始まらんいうようにですその悪口を言われてる、その人の事を、こちらが褒めるような心持ちがいつも、自分の心の中に、あると、まあ効果的だとこう思うんですね。問題は自分の心の中に、聞き入れてはならないということ。
そして今朝の御理解から頂いてですね、家の中にでも波風が立つのは、お互い必ず悪口の言い合いからなのである。だから決して親が子子が親を親が家内が主人のことを、主人が家内のことを、悪口を言い合うような家庭では信心に、家庭の不和家庭に不和がなきが元と仰る、その御教えに言わばもう反しておるからおかげにならん。所がなら目立つのである。家内の欠点が目立つ主人の悪いところが分かるね。
分かれば分かるほどです、人の不行状を見て、我が身の不行状になることと言う様な、御教えを自分の心の中に頂いて、そうでもあろう、そうも見えるけれども、自分自身という者を、本気で振り返って見て、中身を覗いてみる時です、とても、とても、そんな悪口ども、目につく自分であってはならない。また言う資格のある自分では、ないと言う事を、分からせて頂いて。祈りに祈られてゆく様なおかげを蒙って行く所に、家庭の不和がなくなってくる。円満なおかげが受けられる。
これは大きな国と国の場合でも同じ、いつでも同じ事。私どもがその悪口ばっかり言うような心で、どうぞ世界真の平和を祈ったところで、だから神様が聞いて下さるはずがないと言うことを思うんです。祈らなければなりません。もう本当、打って一丸となって、世界真の平和を祈らなければなりません。けれども、その祈る人の心がですね。悪いことは、人の悪口は言わんぞ、また聞かんぞと。
いうような信心がでけて、そういう人達の祈りであって、初めて私は、天地に通うようなおかげになってくるんだということを思います。今朝の御理解に言うなら引き続いてのような御理解でした。その御理解は、人の悪口を言うてはならん。それがおかげを頂けない元である。それが波風の元である。と言う事と同時にです、人の悪口を聞いてはならんということ申しましたですね。
どうぞ。